日本の「水」安全保障
――水道普及率98%の国で、なぜ蛇口から水が出なくなるのか
2026年8月28日|2035日本再設計プロジェクト|水・インフラ・国土強靱化編
昨日の#025では、日本の食料安全保障を取り上げました。
その前の#024はエネルギー安全保障。
そして今日扱うのは、その二つをさらに下から支えている国家基盤です。
水です。
日本は雨が多く、「水資源に恵まれた国」という印象があります。
実際、日本の水道普及率は98%を超えています。国土交通省
しかし、水源に水があることと、
必要な時、必要な場所の蛇口まで安全な水が届くこと
は別問題です。
2024年度末の全国の水道施設を見ると、基幹管路の耐震適合率は44.6%。
浄水施設の耐震化率は46.7%、配水池は**65.9%**です。Yawata City
さらに人口減少。
設備老朽化。
技術者不足。
気候変動。
地震。
豪雨。
渇水。
電力停止。
そして水道事業そのものの経営問題。
これらが同時に進んでいます。
2035年の日本に必要なのは、
「水はあるから大丈夫」
という発想ではありません。
水源から蛇口までを一つの国家安全保障インフラとして再設計することです。
Executive Summary
日本の水道普及率は98%を超え、世界でも非常に高い水準です。国土交通省
しかし、その水を運ぶシステムには大きな課題があります。
2024年度末の全国平均では、
基幹管路の耐震適合率 44.6%
浄水施設の耐震化率 46.7%
配水池の耐震化率 65.9%
にとどまっています。Yawata City
2024年の令和6年能登半島地震では約13.6万戸が断水しました。国土交通省
一方、人口減少は別の問題を生みます。
水道利用者が減っても、
浄水場。
水道管。
配水池。
ポンプ。
などのインフラは維持しなければなりません。
民間研究では、現在のサービス水準を維持する場合、2046年度までに分析対象の約96%の水道事業体で料金改定が必要になる可能性があるとの試算もあります。これは一定の前提に基づく推計であり確定予測ではありませんが、人口減少地域ほど水道経営が難しくなる構造を示しています。EY
さらに国土交通省は、気候変動によって渇水がより深刻化し、社会・経済への影響が拡大する可能性を指摘しています。国土交通省
Japan Compassでは、
「水道」から「Water Security=水安全保障」へ
政策の考え方を広げることを提案します。
1|日本は本当に「水が豊かな国」なのか
日本には多くの河川があります。
雪も降ります。
梅雨もあります。
台風も来ます。
しかし、日本の国土には特徴があります。
山が多い。
河川が短い。
勾配が急。
雨が季節的に集中する。
つまり大量の雨が降っても、
短時間で海へ流れてしまいます。
さらに人口や産業は都市圏へ集中しています。
「日本全体で水がある」ことと、
「東京、大阪、福岡などで必要な日に十分な水を使える」ことは同じではありません。
だから日本は、
ダム。
取水施設。
導水路。
浄水場。
配水池。
水道管。
という巨大な人工システムによって水を時間的・空間的に移動させています。
2|本当の弱点は「水」より「水を届ける仕組み」
水道は、
水源
↓
取水
↓
導水
↓
浄水
↓
送水
↓
配水池
↓
配水管
↓
家庭・病院・企業
という長いシステムです。
このどこか一つが止まれば、蛇口から水は出ません。
だから、
ダムに水がある=水道が使える
ではありません。
2024年度末の基幹管路の耐震適合率は44.6%。
裏返せば、半分以上は「耐震適合性が確認された管路」には入っていません。Yawata City
ここが日本の水安全保障の重要な弱点です。
3|能登半島地震が見せた「水道の連鎖」
能登半島地震では約13.6万戸が断水しました。国土交通省
被害は水道管だけではありません。
道路。
電力。
通信。
浄水施設。
下水道。
住宅。
が同時に被災しました。
水道管を修理しようとしても道路が壊れている。
水道が復旧しても下水道が使えない。
ポンプを動かそうとしても停電している。
つまり災害時の上下水道は、
単独のインフラではありません。
道路・電力・通信・下水道とつながったシステムです。
国土交通省も能登半島地震の教訓から、上下水道一体での防災訓練や復旧体制の構築を進めています。国土交通省
4|耐震化率44.6%をどう考えるか
「半分しか耐震化されていない」と単純に表現するのも正確ではありません。
44.6%は、
基幹管路の「耐震適合率」
です。
耐震管そのものに加え、地盤条件などを踏まえて耐震性があると評価される管を含みます。
そしてすべての水道管を一気に交換することは現実的ではありません。
費用。
工事人員。
道路交通。
資材。
時間。
という制約があります。
だから必要なのは、
重要度による優先順位です。
5|まず病院・避難所・行政・福祉施設を守る
Japan Compassでは、2035年までの水道耐震化について、
全国一律に何%、
という目標だけではなく、
重要施設への給水継続率
を重視することを提案します。
優先するのは、
災害拠点病院。
救急病院。
避難所。
消防。
行政庁舎。
介護施設。
学校。
地域給水拠点。
です。
巨大地震が起きても、
最低限の生命維持機能へ水を届けられるネットワーク
を先に完成させます。
6|人口減少が水道経営を難しくする
水道事業には特殊な問題があります。
人口が減る。
↓
使用水量が減る。
↓
料金収入が減る。
しかし、
水道管の長さは急には短くなりません。
浄水場も必要です。
ポンプも必要です。
点検も必要です。
つまり、
利用者が減るほど、一人当たりで支えるインフラ量が増える
可能性があります。
特に人口密度の低い地方では深刻です。
7|水道料金は上がるのか
EY Japanと水の安全保障戦略機構が2024年に行った共同研究では、一定の前提の下で現在の水道サービスを維持するとした場合、2046年度までに分析対象1,243事業体のうち1,199事業体、約96%で料金改定が必要になる可能性があると推計しています。
推計された平均値上げ率は48%でした。EY
もちろんこれは将来を確定する数字ではありません。
事業統合。
設備縮小。
DX。
更新投資。
人口動向。
によって変わります。
しかし、
「今の設備を今の形のまま維持する」ことが難しくなる
という問題提起は重要です。
8|「安い水道料金」が本当に正しいのか
水道料金は安い方が生活者には助かります。
しかし料金を低く抑え続け、
水道管を更新しない。
耐震化しない。
人材を確保できない。
という状態になれば、
将来世代へ巨大な更新費用を先送りすることになります。
一方、料金を急激に上げれば、
低所得世帯。
子育て世帯。
年金生活者。
への負担が増えます。
必要なのは、
料金の適正化と生活保障を分けること
です。
水道事業には必要な料金を確保する。
生活困窮世帯には別制度で支援する。
この方が制度として透明です。
9|小さな自治体が単独で水道を維持できるのか
人口数千人の自治体と、
人口数百万人の都市では、
同じ水道事業でも経営条件がまったく違います。
小規模事業では、
技術職員。
水質管理。
設備投資。
災害対応。
システム。
資材調達。
を単独で抱えることが難しくなります。
だから今後は、
市町村単位の水道から「広域水道圏」へ
考え方を変える必要があります。
自治体の境界と、水の流域は一致しません。
10|2024年、日本の水政策は方向転換した
2024年8月、新しい水循環基本計画が閣議決定されました。
重点項目には、
安定した水供給のための代替性・多重性。
施設再編。
官民連携。
上下水道一体での再構築。
気候変動対策。
流域総合水管理。
などが盛り込まれています。国土交通省
方向性はかなり明確です。
日本の水政策も、
「設備を増やす時代」から「既存システムを再構築する時代」
へ移り始めています。
11|気候変動は「水不足」だけを起こすのではない
気候変動と水というと、
渇水を想像します。
しかし問題はそれだけではありません。
豪雨。
洪水。
土砂。
濁水。
渇水。
高温。
積雪変化。
海面上昇。
さまざまな形で水システムへ影響します。
国土交通省も、気候変動により渇水が深刻化し、社会生活や経済への影響がさらに発生する可能性を指摘しています。国土交通省
つまり日本は、
「水が多すぎる危機」と「水が足りない危機」
を同時に管理しなければなりません。
12|海外事例
シンガポールの「Four National Taps」
昨日の食料安全保障でも取り上げたシンガポールは、水安全保障でも非常に参考になります。
シンガポールの水源は、
地域の集水。
輸入水。
再生水NEWater。
海水淡水化。
というFour National Tapsで構成されています。シンガポール政府出版局
一つの水源に依存しません。
これは昨日の食料安全保障、
一昨日のエネルギー安全保障と同じ考え方です。
供給源を分散する。
13|「下水」を水資源に変えるNEWater
特に興味深いのがNEWaterです。
生活や産業から出た使用済み水を処理し、さらに膜処理や紫外線消毒などを行って高度に浄化します。
PUBによれば、NEWaterはWHOの飲料水水質ガイドライン等を上回る水質を維持するよう管理されています。シンガポール政府出版局
つまり、
使う。
捨てる。
ではなく、
使う→回収→浄化→再利用する。
水を循環資源として扱っています。
14|海に囲まれた日本は淡水化をどう使うか
海水淡水化は、
「海があるなら水不足にならない」
という魔法の技術ではありません。
大量のエネルギーが必要です。
設備費もかかります。
環境への配慮も必要です。
だから全国の水道を淡水化へ置き換える必要はありません。
しかし、
離島。
沿岸都市。
災害拠点。
工業地帯。
などでは、
非常時の第2・第3水源
として意味があります。
シンガポールでは現在5つの淡水化プラントが稼働し、さらに将来の設備について検討を続けています。シンガポール政府出版局
15|賛成意見
水道料金を上げてでもインフラを更新すべき
水道管は見えません。
だから政治的に後回しになりやすいインフラです。
しかし壊れてから直せば、
断水。
道路陥没。
交通障害。
企業活動停止。
病院機能低下。
など社会的損失が大きくなります。
したがって、
必要な更新費を料金・税で負担し、壊れる前に更新する
という考え方には合理性があります。
16|慎重意見
料金値上げだけでは解決しない
一方で、
「老朽化しているから料金を上げる」
だけでは不十分です。
人口減少地域で、現在と同じ設備規模をそのまま維持すれば、料金は上がり続ける可能性があります。
先に、
施設統廃合。
広域化。
管路縮小。
官民連携。
DX。
遠隔監視。
を進めるべきだという考え方にも合理性があります。
つまり、
値上げの前に構造改革が必要です。
17|Japan Compass政策提案
「Japan Water Security Index」
食料安全保障で提案したFood Security Indexと同様、
水についても、
Japan Water Security Index
を創設します。
評価項目は、
水源多様性。
渇水リスク。
水道管老朽化。
耐震化。
浄水能力。
配水池。
非常用電源。
再生水。
地下水。
雨水利用。
技術者数。
経営状態。
災害復旧能力。
サイバーセキュリティ。
です。
自治体ごとに可視化します。
18|「耐震化率」から「断水復旧時間」へ
設備指標だけでなく、
災害発生後、何時間で最低限の給水を回復できるか
を政策目標にします。
例えば、
病院 6時間。
主要避難所 12時間。
地域給水拠点 24時間。
住宅地 段階復旧。
というように、重要度別に目標を設定します。
これは、
「水道管を何km交換したか」
より市民に分かりやすい指標です。
19|Japan Compass政策提案
「広域Water Utility」構想
人口減少地域では、
市町村ごとに、
浄水場。
技術者。
システム。
調達。
災害対応。
を抱える方式を見直します。
流域や生活圏単位で、
複数自治体が設備・人材・資材・データを共有する、
広域Water Utility
へ移行します。
自治体が所有権を失う必要はありません。
運営機能を共同化するのです。
20|水道管を全部同じように更新しない
AI。
漏水センサー。
衛星。
音響解析。
流量計。
管路履歴。
地盤情報。
を組み合わせ、
壊れる確率×壊れた時の影響
で更新順位を決めます。
病院へつながる管。
人口密集地。
代替ルートがない管。
地震リスクが高い管。
を先に更新します。
「古い順」から、
リスクベース更新
へ変えます。
21|地域に「小さな水源」を持つ
巨大な水道システムだけに依存すると、一か所の障害が広域断水につながる可能性があります。
そこで、
井戸。
雨水。
再生水。
小型浄水装置。
地域貯水。
淡水化。
などを組み合わせます。
能登半島地震でも、珠洲市で可搬式浄水装置が給水支援に使われました。国土交通省
平時は通常水道。
非常時には地域水源。
二重化することが重要です。
22|水・電気・食料を一つのBCPにする
#024 エネルギー。
#025 食料。
#026 水。
ここで三つがつながります。
水を浄化するには電気が必要です。
農業には水と電気が必要です。
食品加工にも水が必要です。
停電すれば水道ポンプが止まる可能性があります。
だから自治体のBCPを、
電力BCP
食料BCP
水BCP
と分けるのではなく、
地域生命インフラBCP
として統合します。
23|離島モデルはここでも有効
昨日の記事で、離島を食料・エネルギー自立モデルの実験場にすることを提案しました。
水も加えます。
太陽光。
蓄電池。
淡水化。
雨水。
地下水。
農業。
冷蔵。
備蓄。
通信。
これを一つのマイクログリッド型生活圏として構築します。
災害時に本土との物流が止まっても、
一定期間生活できる島
を目指します。
成功すれば、
山間地域。
災害孤立地域。
都市部の避難拠点。
にも応用できます。
24|政策の副作用も見る
水道広域化には、
地域事情が反映されにくくなる。
料金体系統合が難しい。
自治体間調整に時間がかかる。
という問題があります。
官民連携には、
公共性。
料金。
災害責任。
情報公開。
の問題があります。
水道料金値上げには家計負担があります。
淡水化には電力コストがあります。
再生水には社会的受容の問題があります。
だから、
一つの万能策に依存しない。
これも水安全保障の原則です。
25|2035日本再設計ロードマップ
2026~2027年|全国水インフラ総点検
管路、浄水場、配水池、水源、技術者、経営、災害リスクを一体評価します。
2027~2029年|Japan Water Security Index導入
自治体・流域ごとの水安全保障能力を毎年公表します。
2029~2031年|広域Water Utility実証
人口減少地域を中心に、自治体を越えた共同運営・技術者共有・資材備蓄を進めます。
2031~2033年|分散型水源整備
井戸、雨水、再生水、小型浄水、淡水化などを地域BCPへ組み込みます。
2033~2035年|水・食料・エネルギー統合
自治体のインフラ計画を、
Water。
Food。
Energy。
の三つを統合した地域生命インフラ計画へ移行します。
26|2035日本再設計白書での位置付け
本稿は、
第四部 インフラ・国土
第二部 経済・産業
第七部 地方創生
防災・国土強靱化
経済安全保障
を横断するテーマとして位置付けます。
#024 エネルギー安全保障。
#025 食料安全保障。
#026 水安全保障。
これで、2035年の日本を支える三つの物理基盤がそろいました。
Energy × Food × Water
です。
この三つは別々の政策ではありません。
相互依存する一つのシステムです。
今日の提言
日本の水問題を、
「水道管が古くなっている」という設備問題だけで考えるのをやめるべきです。
日本には水があります。
しかし、
水源があっても、
浄水場が止まれば飲めない。
電気が止まれば送れない。
管が壊れれば届かない。
技術者がいなければ直せない。
料金収入がなければ更新できない。
そして気候変動によって、水そのものの安定性も変わります。
だから2035年に必要なのは、
水源から蛇口までの「水の国家安全保障」です。
すべての水道管を一度に新しくする必要はありません。
重要施設から守る。
広域化する。
設備を統廃合する。
データで更新順位を決める。
水源を多重化する。
非常用水源を持つ。
再生水を使う。
そして必要な費用を、現在世代と将来世代で公平に負担する。
日本が目指すべきなのは、
「水道料金が世界一安い国」ではありません。
地震が起きても。
渇水になっても。
人口が減っても。
蛇口をひねれば、安全な水が出続ける国です。
読者への問い
水道管の老朽化や耐震化のために必要なのであれば、
私たちは一定の水道料金値上げを「安全保障のコスト」として受け入れるべきでしょうか。
それともまず、
自治体統合。
施設削減。
DX。
官民連携。
などによる徹底した効率化を優先すべきでしょうか。
そしてもう一つ。
大規模災害に備え、
各地域に井戸・雨水・再生水・小型浄水装置など、
通常の水道とは別の「第2の水源」を持つことを標準化すべきでしょうか。
水は普段あまりにも簡単に手に入るため、その価値を忘れがちなインフラです。
しかし、
電気がなくても数時間は暮らせます。食料がなくても数日は耐えられます。水なしでは長く生きられません。
2035日本再設計において、水は最優先で守るべき国家基盤の一つです。
データ出典・参考資料
国土交通省「水の恵みを将来にわたって享受できる社会を目指して」
EY Japan「人口減少時代の水道料金はどうなるのか? 2024版」
Singapore PUB「Four National Taps / Water Security」
Singapore PUB「NEWater Quality」
Singapore PUB「Desalinated Water」
※基幹管路44.6%、浄水施設46.7%、配水池65.9%は2024年度末の全国値です。Yawata City 水道料金の将来値は公的な確定予測ではなく、EY Japanと水の安全保障戦略機構による一定条件下の試算です。将来の人口、設備再編、広域化、投資、料金改定等によって結果は変わるため、本稿では人口減少下の水道経営リスクを示す参考値として扱っています。

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