公費で生まれた研究論文を、誰でも掲載直後に読めるようになるか
――2025年に始まった即時オープンアクセスと、2026年の新システムが変える日本の研究環境
2026年10月12日|2035日本再設計プロジェクト|科学技術・大学研究・オープンサイエンス編
ある地方の中小企業が、新しい製品を開発しようとしているとします。
研究者ではありません。
大学とも特別なつながりはありません。
しかし、製品の開発に役立ちそうな大学の研究論文を見つけました。
論文のタイトルを読む。
概要を確認する。
ところが、本文を開こうとすると、購入や購読契約が必要だと表示される。
その会社には、大学のような電子ジャーナルの契約がありません。
結局、論文を読むことを諦めてしまったとします。
一方、その論文を書いた大学の研究者は、国から研究費を受け取っていました。
税金を財源とする研究費です。
研究が進み、論文が発表される。
しかし、その成果を読むためには、別途お金を払う必要がある。
これは不合理なのでしょうか。
それとも、学術論文の品質を維持するためには、必要な仕組みなのでしょうか。
日本では、この問題を解決するための政策が既に始まっています。
2024年2月16日、政府は「学術論文等の即時オープンアクセスの実現に向けた基本方針」を決定しました。
そして、2025年度から新たに公募される対象の競争的研究費について、研究成果となる学術論文などを原則として公開する仕組みが始まりました。
さらに2026年には、国立情報学研究所が、大学による論文公開を支援する新しいシステムの提供を進めています。
日本は、研究成果をより多くの人が利用できる方向へ動き始めています。
しかし、ここで一つ疑問があります。
論文を公開するという政府方針が決まれば、本当に誰でも読めるようになるのでしょうか。
今日のJapan Compassでは、この一点を考えます。
Executive Summary
結論から言います。
Japan Compassは、公的研究費によって生まれた学術論文のオープンアクセス化を支持します。
ただし、論文の公開を義務付けたことだけで、政策が成功したとは判断できません。
重要なのは、一般の人や企業、研究者が、必要な論文へ実際にアクセスできることです。
現在、日本には既に、そのための制度があります。
2024年2月に政府の基本方針が決定され、2025年度から新たに公募される対象研究費による論文について、即時オープンアクセスが求められるようになりました。
国立情報学研究所は、研究データ基盤や機関リポジトリを整備しています。
2026年3月には、論文公開の作業を支援する新機能の提供を開始しました。
2026年10月1日には、大学図書館などの業務を支援する「OA Assist」の常時利用申請受付を開始しています。
つまり、日本には既に制度もシステムもあります。
今から「国が論文公開システムを新設するべきだ」とだけ提案するのは、現在の政策を十分に理解していないことになります。
次に必要なのは、既存制度によって、論文が実際に読める状態になったかを検証することです。
その際には、三つのことを区別する必要があります。
第一に、論文の存在を検索できること。
第二に、論文の本文を無料で読めること。
第三に、研究データを必要な範囲で確認・再利用できること。
この三つは同じではありません。
Japan Compassは、既存の研究情報基盤を活用し、対象となる学術論文について、本文の公開状況、公開までの期間、公開できない理由、研究者と大学の負担を継続的に確認することを提案します。
目的は、論文を無料で読めるようにすることだけではありません。
公的資金による研究成果を、次の研究、教育、製品開発、社会課題の解決へつなげることです。
現状|2025年度から、研究論文の即時公開が求められている
最初に、制度の内容を整理します。
2024年2月16日、政府の統合イノベーション戦略推進会議は、学術論文等の即時オープンアクセスに関する基本方針を決定しました。
その目的は、公的資金による研究成果を国民へ還元し、研究成果の共有と利活用を進めることです。
対象となるのは、2025年度以降に新たに公募された特定の競争的研究費です。
具体的には、科学研究費助成事業、いわゆる科研費や、科学技術振興機構などによる対象研究事業が含まれます。
当初の対象として整理されたのは、科学研究費助成事業、戦略的創造研究推進事業の対象部分、創発的研究支援事業などです。
ただし、同じ名称の研究費でも、公募年度や事業の区分によって対象となるかが異なります。
例えば、2025年度に研究費を受け取っていても、2024年度以前に公募された研究課題については、今回の基本方針による義務化の対象とは限りません。
また、政府の方針は、日本で発表されるすべての学術論文を、直ちに無料公開する制度ではありません。
対象となる研究費と研究成果には、一定の範囲があります。
この点を曖昧にすると、制度の実態を誤って理解してしまいます。
「即時公開」とは、具体的に何を意味するのか
ここで、言葉の意味を確認します。
即時オープンアクセスとは、基本的に、論文が学術雑誌に掲載された後、公開禁止期間を設けずにアクセスできるようにすることです。
この公開禁止期間を、エンバーゴと呼びます。
例えば、ある出版社が、
「論文を発表してから6か月間は、著者による公開を認めません」
という条件を設けていたとします。
その場合、6か月間は、読者が無料で本文へアクセスできない可能性があります。
日本政府の基本方針は、対象論文について、こうした公開禁止期間のないオープンアクセスを目指しています。
ただし、実際には著作権や出版契約などの問題があります。
出版社の契約条件によっては、研究者が論文をすぐに公開できない場合もあります。
そのため、政府の運用では、即時公開が困難な場合について、研究費の実績報告で理由を記載する仕組みも設けられています。
京都大学の説明では、論文掲載後、機関リポジトリ等で公開するまでの実務上の目安として、3か月程度という考え方も紹介されています。
ここは混同してはいけません。
事務作業の目安としての3か月と、出版社による3か月の公開禁止期間は別のものです。
即時オープンアクセスの基本的な考え方は、公開禁止期間を設けないことです。
政策の実効性を検証する際にも、この違いを確認する必要があります。
何を公開するのか。すべての研究データではない
今回の基本方針では、主に二つの研究成果が対象となっています。
一つは、電子ジャーナルに掲載された査読済み学術論文です。
もう一つは、その論文の根拠データです。
ただし、根拠データについても、すべての実験記録や研究資料を無条件に公開するわけではありません。
対象となるのは、掲載された学術雑誌の執筆要領や出版規程などで、透明性や再現性の確保のために公表が求められている研究データです。
例えば、論文の結論を裏付けるために、雑誌側が公開を求めている補足データなどです。
一方、研究室で記録したすべての情報を公開するわけではありません。
研究によっては、個人情報が含まれる場合があります。
企業との共同研究で、営業秘密が含まれる場合もあります。
研究セキュリティ上の配慮が必要な情報もあるでしょう。
また、論文の査読過程で一時的に提出した資料が、必ずしも一般公開の対象になるわけではありません。
論文の公開と、あらゆる研究情報の無制限な公開は違います。
この区別を守ることも、政策を継続する上で重要です。
公開方法は一つではない
オープンアクセスという言葉を聞くと、出版社が論文を無料公開する仕組みを想像するかもしれません。
しかし、それだけではありません。
代表的な方法に、ゴールド・オープンアクセスとグリーン・オープンアクセスがあります。
ゴールド・オープンアクセスでは、出版社のサイトなどで、論文を誰でも読めるようにします。
論文によっては、著者側が掲載・公開費用を負担します。
この費用は、APCと呼ばれます。
一方、グリーン・オープンアクセスでは、研究者の所属機関などが運営するリポジトリに論文を登録し、公開します。
リポジトリとは、研究成果を保存し、インターネット上で提供する仕組みです。
この方法では、出版社へ高額な公開費用を支払わずに、研究成果を読めるようにできる場合があります。
ただし、出版社が作成した完成版PDFを、研究者が自由に再配布できるとは限りません。
著者最終稿と呼ばれる、査読を経て修正された原稿を公開する方法もあります。
研究者は、出版契約や著作権の条件を確認する必要があります。
重要なのは、読者が無料で読めることと、研究者が公開に必要な権利を持っていることの両方です。
無料公開を進めるために、著作権を無視してよいわけではありません。
2026年8月、日本の約400万件の研究成果情報が国際的につながった
ここで、2026年の新しい動きを確認します。
2026年8月18日、国立情報学研究所は、日本の機関リポジトリに蓄積された研究成果の情報が、国際的な学術情報データベース「OpenAlex」と連携したと発表しました。
この連携によって、約400万件の研究成果のメタデータが、OpenAlexから利用できるようになりました。
メタデータとは、例えば論文のタイトル、著者、所属機関、識別子、本文へのリンクなどの情報です。
研究成果そのものを探すための情報だと考えると分かりやすいでしょう。
ここで注意が必要です。
約400万件という数字は、400万本の論文全文が新たに無料公開されたという意味ではありません。
国立情報学研究所によると、連携に際して、もともと収集されていた約545万件のデータについて、重複の整理や削除済みデータの除外などを行いました。
その結果、約400万件の研究成果情報が国際的なデータベースから利用できるようになったということです。
対象には、学術論文以外の研究成果も含まれます。
また、検索結果が表示されても、その先の本文を必ず無料で読めるとは限りません。
しかし、この連携には重要な意味があります。
日本の大学に蓄積された研究成果を、海外の研究者や企業などが見つけやすくなるからです。
研究成果を探せなければ、そもそも利用することもできません。
その意味で、発見可能性の改善は大きな前進です。
ただし、ここからさらに一歩進む必要があります。
研究成果を見つけられることと、実際に利用できることは、別だからです。
2026年10月、論文公開を支える新しい仕組みが動き始めた
もう一つ、注目したい動きがあります。
国立情報学研究所は、2026年3月に、論文のオープンアクセス化を支援する「OA Assist」をリリースしました。
そして2026年10月1日から、常時利用申請の受付を開始しました。
このシステムは、主に大学図書館などの実務を支援するものです。
例えば、研究者が論文を発表したとします。
大学の担当者は、論文を機関リポジトリへ登録するために、さまざまなことを確認する必要があります。
どの研究者の論文なのか。
どの研究費による成果なのか。
出版社の著作権条件はどうなっているのか。
どの原稿を公開できるのか。
必要な書誌情報は何か。
これらを手作業で確認していれば、多くの時間がかかります。
OA Assistは、そうした著作権確認やメタデータ登録などの作業を半自動化する仕組みです。
国立情報学研究所は、オープンアクセス化に必要な業務時間が半減すると見込んでいます。
ただし、これは公表された見込みです。
全国の大学で導入した結果、実際に業務時間が半減したという実測結果ではありません。
また、2026年10月1日に始まったのは常時利用申請の受付です。
同年12月ごろに初回利用が始まる予定であり、10月1日からすべての大学が利用できるようになったわけではありません。
OA Assistの利用料金は当面無料とされていますが、連携先であるJAIRO Cloudには別途利用料金があります。
今後は、導入した大学で実際にどれだけ作業時間が減ったかを確認する必要があります。
原因|なぜ論文を公開するだけなのに、これほど手間がかかるのか
ここまで読むと、疑問を持つ人もいるでしょう。
論文のPDFをアップロードするだけなら、それほど難しくないのではないか。
しかし、実際にはそう単純ではありません。
まず、著作権があります。
出版社によって、公開できる原稿の種類や条件が異なります。
次に、研究成果の識別があります。
同じ論文について、出版社版、著者最終稿、プレプリントなど、複数の版が存在する場合があります。
プレプリントとは、一般的には査読前の研究原稿です。
査読済みの最終論文とは区別する必要があります。
また、論文に関連する研究費も一つとは限りません。
複数の研究費を使って研究した場合、その成果がどの研究費制度の対象になるのかを確認する必要があります。
さらに、論文の掲載日、公開日、出版社の条件、本文の所在、根拠データの所在など、さまざまな情報を正確に管理する必要があります。
これは、研究者だけの仕事ではありません。
大学図書館。
研究支援部門。
情報システム担当者。
研究費の管理担当者。
こうした人たちが連携する必要があります。
問題は、研究成果の公開を進めるほど、大学側の管理業務も増える可能性があることです。
研究論文の公開が義務化されたからといって、その業務をすべて研究者自身に任せれば、研究する時間が減ってしまうかもしれません。
#046では、日本の研究者の研究時間が減少している問題を検証しました。
今回の制度でも、研究成果の公開が研究者の新しい事務負担にならないようにする必要があります。
海外事例|英国は研究論文の公開方法と費用を制度化している
海外では、どのような制度があるのでしょうか。
参考になるのが英国です。
英国のUK Research and Innovation、通称UKRIは、公的研究資金を受けた研究成果について、オープンアクセス方針を定めています。
査読付き研究論文については、2022年4月1日以降に投稿された対象論文から新しい方針が適用されています。
英国の制度では、研究成果を公開するための方法が整理されています。
出版社のサイトで公開する方法。
大学などのリポジトリで公開する方法。
どちらの方法でも、条件を満たせばオープンアクセスを実現できます。
さらに、英国では、公開費用を支援するための資金も用意されています。
研究機関へ配分されるオープンアクセス用の資金などです。
ここで重要なのは、公開を求める政策と、公開するための費用を支える政策を組み合わせていることです。
研究者に対して、
「論文を無料公開してください」
と求めるだけでは十分ではありません。
公開費用を誰が負担するのか。
著作権条件を誰が確認するのか。
研究成果を保存する情報基盤を誰が維持するのか。
そこまで考える必要があります。
ただし、英国と日本では、研究費制度や出版契約、著作権の扱いが異なります。
英国の制度を、そのまま日本へ導入する必要はありません。
参考にするべきなのは、公開の義務と、それを実現するための支援を一体として考える姿勢です。
海外事例|フランスはオープンアクセスの進み方を測っている
もう一つ参考になるのが、フランスです。
フランスでは、学術論文のオープンアクセス状況を確認するため、French Open Science Monitorが運用されています。
これは、学術成果の公開状況を、公開データなどを使って可視化する仕組みです。
日本の国立情報学研究所は、この仕組みを参考に、2026年3月3日、「Japan Open Science Monitor」の試験版を公開しました。
つまり、日本でも既に、オープンサイエンスの進捗を可視化する取組が始まっています。
国立情報学研究所は、当初は出版物のオープンアクセス指標を中心に提供し、今後、研究データやソフトウェアなどにも対象を広げることを検討しています。
このため、今回のJapan Compassでは、新しい監視システムを一から作ることは提案しません。
むしろ、既に始まっているJapan Open Science Monitorを、政策評価にどう活用するかを考えます。
例えば、論文が公開されている割合だけでなく、実際に本文へアクセスできる割合を把握できるでしょうか。
掲載から公開まで、どれくらい時間がかかっているでしょうか。
大学の規模によって、大きな違いがあるでしょうか。
そうした情報を確認できれば、制度の改善につなげられます。
賛成論|研究成果を公開すれば、日本全体の研究開発に役立つ
私は、公費による研究成果の公開には、大きな意義があると考えます。
例えば、ある大学で新しい材料の研究が行われたとします。
その研究成果を、別の大学の研究者が読む。
さらに、地方の中小企業が、その研究を参考に新しい製品を開発する。
別の研究機関が、論文の方法を検証する。
海外の研究者が、異なる条件で実験する。
このように、研究成果が次の研究や開発へつながる可能性があります。
学術論文は、研究を終えたことを示す書類ではありません。
次の知識を生み出すための材料でもあります。
また、オープンアクセスには、研究機関の規模による格差を減らす可能性があります。
大規模な大学には、多くの学術雑誌を購読できる予算があるかもしれません。
しかし、地方の小規模大学や研究機関では、同じ予算を確保できるとは限りません。
大学に所属していない企業の技術者にとっても、学術論文を読むことが難しい場合があります。
研究成果が無料で読めるようになれば、そうした人たちも知識へアクセスしやすくなります。
研究成果を利用できる人が増えることは、日本全体の研究開発の可能性を広げることにつながります。
慎重論|無料公開にも費用がかかる
一方で、オープンアクセスを進める際には、慎重に考えるべき問題があります。
第一は、費用です。
論文を無料で読めるようにしても、論文の査読、編集、出版、保存、検索システムの運用に必要な費用が消えるわけではありません。
その費用を誰が負担するのかが変わるだけです。
例えば、出版社のサイトで論文を無料公開する代わりに、研究者側が高額な掲載・公開費用を負担する仕組みが広がれば、研究費の少ない研究者に不利になる可能性があります。
研究費が十分にある人は論文を公開できる。
研究費が少ない人は、公開費用を捻出できない。
そんな状態になれば、別の格差が生まれます。
第二は、品質です。
オープンアクセスという名称だけで、その学術雑誌の品質が保証されるわけではありません。
適切な査読を行わず、掲載料を得ることだけを目的とする悪質な出版活動にも注意する必要があります。
第三は、著作権や研究データの取扱いです。
研究成果を公開することと、研究データを誰でも自由に再利用できることは同じではありません。
研究分野によっては、個人情報、知的財産、共同研究契約、研究セキュリティなどへの配慮が必要です。
したがって、公開すればするほど良いという単純な考え方にはするべきではありません。
公開できる研究成果は適切に公開する。
公開できない情報には、明確な理由がある。
そして、公開に必要な費用や負担が、特定の研究者や大学へ集中しないようにする。
この三つを両立させる必要があります。
Japan Compass政策提案
「公開件数」から「実際に読める割合」へ評価を進める
今回の提案は、国の即時オープンアクセス方針を新設することではありません。
また、国立情報学研究所が整備しているデータベースや大学の機関リポジトリを、新たに作り直すことでもありません。
既存制度を使い、その実効性を確認するための提案です。
第一の提案|対象論文のうち、何本が実際に読めるかを確認する
最も重要なのは、政策の対象となる論文のうち、何本が実際に無料で読める状態にあるかを把握することです。
例えば、ある研究費制度の対象となる研究から、一定期間に100本の査読付き論文が発表されたとします。
そのうち、出版社のサイトや機関リポジトリで無料閲覧できる論文が何本あるのか。
無料で閲覧できない論文が何本あるのか。
公開が遅れている論文は何本あるのか。
こうした情報を確認します。
ただし、単に公開済み論文数を数えるだけでは不十分です。
そもそも対象となる論文が何本あったのか、という分母が必要だからです。
「公開した本数」ではなく「対象論文のうち、読める状態にある割合」を確認する。
これを政策評価の基本にします。
第二の提案|掲載日と公開日を区別する
例えば、論文が4月1日に学術雑誌へ掲載されたとします。
しかし、大学のリポジトリで本文を読めるようになったのは7月1日だったとします。
この場合、論文は最終的に無料公開されています。
しかし、掲載直後から読めたわけではありません。
この違いを確認するため、対象論文について、掲載日と本文公開日を区別して把握します。
その上で、公開までに時間がかかった理由を分類します。
著作権の確認に時間がかかったのか。
研究者から原稿が提出されなかったのか。
大学の登録作業が遅れたのか。
出版社の契約上の制約があったのか。
理由が異なれば、改善方法も異なります。
第三の提案|公開できない理由を把握する
すべての論文が、必ずしも予定どおり公開できるとは限りません。
出版社との契約上、即時公開が困難な場合があります。
論文の原稿や関連情報の整理が必要な場合もあります。
そこで、公開できない理由を、研究費の実績報告や既存の情報基盤から把握できるようにします。
この点については、既に政府の運用で困難理由を報告する仕組みがあります。
そのため、新しい理由報告制度を一から作るのではなく、既存の報告情報を、制度改善のために活用できるかを検討します。
例えば、特定の出版社との契約条件が原因で公開できない事例が多ければ、大学や研究機関による契約交渉の支援が必要かもしれません。
反対に、単純な登録作業の遅れが多いのであれば、OA Assistなどによる業務改善が有効かもしれません。
第四の提案|大学の実務負担を測る
国立情報学研究所は、OA Assistによって論文公開業務の時間を半減できると見込んでいます。
これは期待できる取組です。
しかし、実際の効果は導入後に検証する必要があります。
例えば、導入前には1本の論文を登録するために、平均してどれくらいの時間が必要だったのか。
導入後には、どれくらい短縮されたのか。
著作権の確認。
メタデータの入力。
研究者への問い合わせ。
公開処理。
これらの作業時間が、どのように変わったのかを確認します。
また、システムを使っても、研究者が新たな確認書類を大量に提出しなければならないのであれば、大学全体の負担が減ったとは言えません。
図書館職員、研究支援担当者、研究者の負担を分けて確認する必要があります。
第五の提案|論文公開の費用を、大学全体で確認する
オープンアクセスでは、読者が無料で論文を読めることが重要です。
しかし、大学や研究機関が負担する費用も確認する必要があります。
例えば、学術雑誌の購読料。
出版社へ支払う論文の公開費用。
機関リポジトリの運用費。
システムの保守費。
著作権確認や論文登録に必要な人件費。
これらを、可能な範囲で把握します。
その際、費用の分類を統一し、同じ費用を二重に計上しないようにします。
目指すのは、オープンアクセス化によって大学の支出が必ず減ると主張することではありません。
公的資金による研究成果を公開するために、社会全体でどれだけの費用を負担しているのかを理解することです。
費用と利用状況を確認できれば、今後の制度改善にも役立ちます。
財源・実施主体・制約
中心となる実施主体は、内閣府、文部科学省、研究費配分機関、国立情報学研究所、大学・研究機関などです。
科研費については、日本学術振興会も重要な役割を担います。
今回の提案のために、新しい独立行政機関を設ける必要はありません。
国立情報学研究所には、既に研究情報を管理・検索・公開する基盤があります。
大学には機関リポジトリがあります。
2026年には、Japan Open Science Monitorの試験版も公開されています。
さらに、OA Assistの利用拡大が始まっています。
したがって、まず既存の仕組みを活用し、政策評価に必要な情報を把握できるかを確認するべきです。
費用として考えられるのは、既存システムの維持管理、大学の担当者への研修、著作権確認、研究費情報との連携、公開状況の分析などです。
文部科学省は2024年度に、大学等のオープンアクセス推進体制を支援する「オープンアクセス加速化事業」を実施しています。
つまり、制度整備への公的支援も既に存在します。
今回必要なのは、現在の事業によってどこまで対応できているのかを確認し、不足する費用を見積もることです。
また、大学の規模による違いにも配慮する必要があります。
大規模な研究大学と、小規模な地方大学では、論文数も担当者数も異なります。
すべての大学へ同じ規模のシステム投資を求めることは合理的ではありません。
国立情報学研究所などが提供する共通基盤を活用し、大学側の負担を抑える方向が望ましいでしょう。
ただし、共通基盤にも維持管理費が必要です。
利用料金を無料にすれば、社会全体の運用費用がゼロになるわけではありません。
その点も正確に理解する必要があります。
今回確認した公表資料からは、2025年度以降の対象論文を全国で即時公開するための追加的な総費用や、大学側の実際の運用費用を十分に把握できませんでした。
したがって、根拠のない予算額は提示しません。
既存の事業費、大学の実務負担、システムの維持管理費を確認した上で、必要な支援を判断するべきです。
2035ロードマップ
2026~2027年|対象論文の公開状況を確認する
まず、2025年度以降に新規公募された対象研究費について、学術論文の公開状況を確認します。
対象となる論文数。
無料で本文を読める論文数。
掲載から公開までの期間。
公開できない理由。
こうした情報について、既存の研究情報基盤で把握できる範囲を整理します。
また、2026年10月から常時利用申請の受付が始まったOA Assistについて、導入大学での実務上の効果を確認します。
2027~2029年|大学の実務負担を減らす
OA Assistなどの導入状況を踏まえ、著作権確認や論文登録の事務を効率化します。
必要に応じて、大学間で実務ノウハウを共有します。
特に、小規模な大学で担当者が不足していないかを確認します。
ただし、公開処理の速度を優先するあまり、著作権や研究データの取扱いを軽視してはいけません。
2029~2031年|公開費用と利用状況を比較する
大学や研究機関が負担している学術出版関連費用を整理し、公開状況と併せて確認します。
出版社へ支払う費用。
大学のリポジトリ運用費。
論文公開に必要な人件費。
それぞれの役割を把握します。
その上で、制度の運用費用が適切かどうかを検証します。
2031~2033年|研究成果を利用しやすい環境へ
論文の無料公開が進んだとしても、利用者が必要な研究成果を探せなければ十分ではありません。
そこで、研究成果の検索性、本文への到達性、関連する根拠データとの連携について、改善の必要性を検討します。
特に、大学に所属しない企業の技術者や地域の研究機関でも、必要な論文へアクセスできるかを確認します。
ただし、個人情報や営業秘密など、公開できない情報は適切に保護します。
2033~2035年|研究成果を社会の知識資産として活用する
2035年に目指すのは、論文を大量に公開して終わる社会ではありません。
大学の研究成果を、別の大学が利用する。
企業が研究を参考に、新しい製品を開発する。
医療や教育の現場が、信頼できる研究成果を確認する。
行政が政策を考える際に、研究成果を利用する。
そのための知識基盤を整えることです。
研究成果が見つかり、読まれ、理解され、次の活動へつながる。
そこまで進んで、初めてオープンアクセス政策の価値が見えてくるのではないでしょうか。
2035日本再設計白書での位置付け
今回の#071は、**第二部「教育」**に位置付けます。
横断テーマは、科学技術、大学研究、研究情報基盤、産業競争力です。
#046では、研究者の研究時間を確保するため、研究費、大学運営、支援人材、研究設備などを検証しました。
#056では、博士人材が大学の外でも研究能力を生かせるようにするため、大学と企業の接続を考えました。
#061では、研究開発を支える税制について、既存制度の実効性を検証しました。
#065では、国際共同研究に伴う研究セキュリティが主題となっています。
今回の#071は、それらとは別の段階を扱っています。
研究成果が生まれた後、その成果を誰が利用できるのか。
研究費を増やすこと。
研究者を育てること。
研究する時間を確保すること。
それらは重要です。
しかし、研究成果が生まれた後、その知識が限られた場所にとどまっていては、社会全体で利用する機会が狭くなります。
もちろん、すべての研究成果が直ちに産業化されるわけではありません。
基礎研究には、長い時間が必要です。
一見すると社会との接点が小さい研究が、何十年も後になって重要な技術につながることもあります。
だからこそ、研究成果を保存し、次の世代が利用できる状態にしておくことには価値があります。
大学の研究力を考えるとき、研究成果をどれだけ生み出せるかだけでなく、その成果を社会の知識として残せるかという視点も重要ではないでしょうか。
今日の提言
私は、公的資金による研究成果を、できる限り多くの人が利用できるようにする方向性に賛成です。
ただし、ここで誤解してはいけないことがあります。
学術論文を無料で読めるようにすることと、研究そのものを無料で行えるようにすることは違います。
研究には費用がかかります。
人件費。
設備費。
実験材料。
情報システム。
データの保存。
論文の出版。
成果を公開した後の維持管理。
これらは、誰かが負担しなければなりません。
だからこそ、オープンアクセス政策では、費用の負担方法をきちんと考える必要があります。
その上で、私は、今の日本に必要なのは、もう一つ新しい研究情報システムを作ることではないと思います。
既にある制度と情報基盤を、実際に使えるものにすることです。
2024年に政府方針が決まった。
2025年に対象研究費への適用が始まった。
2026年には、論文公開を支援するシステムが整い始めた。
ここまでは、着実に進んでいます。
しかし、制度の成功を判断するためには、その先を見る必要があります。
公的研究費によって生まれた論文を、国民や研究者が実際に読めるようになったのか。
そして、論文を公開するための費用や事務負担が、大学や研究者にとって持続可能なものになっているのか。
この二つを確かめる必要があります。
研究成果を公開すること自体は目的ではありません。
本当の目的は、知識を次の研究や社会活動へつなげることです。
公的資金で生まれた知識が、必要とする人へ届く。
そのための環境を整えることも、日本の科学技術政策の重要な役割だと思います。
読者への問い
もし、あなたが小さな会社を経営しているとします。
新しい商品を開発しようと考えています。
インターネットで調べていると、日本の大学が発表した研究論文を見つけました。
その研究は、あなたが開発したい商品と深く関係しているようです。
ところが、本文を読もうとすると、料金の支払いが必要だと表示されました。
その論文は、公的研究費によって行われた研究の成果でした。
あなたは、どう感じるでしょうか。
税金を使って研究したのだから、誰でも無料で読めるべきだと思うでしょうか。
それとも、論文の出版や品質管理にも費用がかかるのだから、一定の利用料金は必要だと考えるでしょうか。
どちらにも、考えるべき理由があります。
しかし、私はもう一つの選択肢があると思います。
研究成果を公開するために必要な費用を、社会全体で合理的に負担し、必要とする人が知識へアクセスできるようにすること。
日本は既に、その方向へ進み始めています。
では、2035年の日本では、大学で生まれた研究成果を、誰が、どこまで自由に利用できる社会を目指すべきでしょうか。
研究成果は、論文が発表された瞬間に仕事を終えるのでしょうか。それとも、誰かがその知識を利用したとき、次の価値が生まれるのでしょうか。
オープンアクセスの本当の価値は、そこにあるのかもしれません。
データ出典・参考資料
1.内閣府「学術論文等の即時オープンアクセスの実現に向けた国の方針に関する説明会の開催について」
2024年4月15日公表。
2024年2月16日に決定された基本方針と、2025年度の新規公募分から対象研究費に即時オープンアクセスを適用する方針を確認しました。
2.京都大学図書館機構「科研費等に対する国のオープンアクセス基本方針に対応するには」
対象となる研究費制度、学術論文と根拠データの範囲、著者最終稿、出版社の公開条件、公開が困難な場合の取扱い、機関リポジトリによる公開方法などを確認しました。
また、2026年3月10日に京都大学で開催された説明会に関する案内も確認しました。
3.新潟大学図書館「学術論文等の即時OA義務化について」
2025年度から新たに公募される対象競争的研究費の区分、公開対象となる査読済み学術論文と根拠データの定義などを確認しました。
4.国立情報学研究所「日本の機関リポジトリ約400万件の研究成果がOpenAlexに統合」
2026年8月18日公表。
日本の機関リポジトリに蓄積された研究成果のメタデータ約400万件が、OpenAlexから利用できるようになったことを確認しました。
この数字は論文全文の無料公開件数ではなく、重複などを調整した研究成果のメタデータ件数です。
5.国立情報学研究所「NII RDC新機能を全国の大学・研究機関等へ提供開始」
2026年3月19日公表。
研究データ管理、機関リポジトリ、論文公開支援、公開状況の可視化などに関する新機能を確認しました。
6.国立情報学研究所「Japan Open Science Monitor試験版を公開」
2026年3月3日公表。
日本のオープンサイエンスの進捗を可視化する仕組みと、フランスのFrench Open Science Monitorを参考にした指標整備について確認しました。
国立情報学研究所|Japan Open Science Monitor
7.国立情報学研究所「OA Assistの利用申請の受付を開始します」
2026年9月30日公表。
2026年10月1日からの常時利用申請受付、2026年12月ごろの初回利用開始予定、利用条件、費用、業務時間半減の見込みについて確認しました。
なお、業務時間半減は予測であり、全国導入後の実測結果ではありません。
8.英国 UK Research and Innovation「UKRI open access policy」
2021年8月6日公表、2026年6月22日更新。
公的研究資金による学術論文のオープンアクセス方針、2022年4月1日からの適用範囲、著作権・公開条件などを確認しました。
9.英国 UK Research and Innovation「Making your research article open access」
出版社での公開と機関リポジトリでの公開という二つの方法、著者最終稿の取扱い、ライセンス要件、公開費用への支援などを確認しました。
UKRI|Making Your Research Article Open Access
10.文部科学省「オープンアクセス加速化事業」
2024年3月26日公募開始。
大学などにおける研究成果公開システムの整備、全学的な運用体制の強化、オープンアクセス推進のための支援策などを確認しました。
11.Japan Compass #046「研究者は、研究する時間を取り戻せるか」
2026年9月17日公開。
研究時間、研究支援人材、研究設備、基盤的研究費などを扱った過去号との重複を確認しました。
12.Japan Compass #056「博士人材を、大学の外でも活かせるか」
2026年9月27日公開。
博士課程修了者のキャリア、企業との接続、研究インターンシップなどを扱った過去号との重複を確認しました。
資料確認上の留意事項
本稿は、2026年10月12日時点で確認できる公表資料に基づいています。
日本の即時オープンアクセス方針は、2024年に決定され、2025年度から新たに公募された対象研究費に適用されています。
ただし、日本で発表されるすべての論文を対象とする制度ではありません。
また、2026年8月に公表された約400万件という数字は、国際的な研究情報データベースへ連携されたメタデータの件数であり、全文を無料閲覧できる論文数を意味しません。
2026年10月1日から常時申請受付が始まったOA Assistについても、全国的な導入後の実績や、研究者・大学職員の業務時間の減少について、今回の資料からは十分な実測結果を確認できませんでした。
Japan Compass独自の提案は、既に存在する即時オープンアクセス制度と研究情報基盤を活用し、対象論文の本文閲覧可能率、公開までの期間、公開が困難な理由、大学側の実務負担、公開に必要な総費用を継続的に検証することです。
政府の基本方針、機関リポジトリ、Japan Open Science Monitor、OA Assistなどを、新しい独自制度として扱うものではありません。

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